知らないことを突っ込まれるのは辛い

何に関してもそうなんですが、「えっ、そんなことも知らないの?」って言われるのは辛いです。

単純に言って、自分の学んでいるレベルの低さが見えてしまう気がします。学年テストで自分の点数だけ悪かったみたいな気持ちです。自分の未熟さや学習不足がこの言葉によって露呈してしまうんですよね。

知識の差があるのは当然

自分が今までに必死で学んだことは、他の人が同じ方法で学んだとは限りません。だからこそ、教科書は様々な形式があり教え方も複数あるわけです。

だからこそ、相手か自分に差異が発生すると考えています。ここから自分が蓄えている知識に差が起こり「自分らしく」「自分だけの知識」になっていく気がします。他の誰よりも理解したところが多いのであれば、その分他の誰よりも理解ができていない箇所も発生するとも言えます。何度も学習して、頭の中で出てくるぐらいになれば「知っていて当然」という考えも持つでしょう。

ちゃんと考えてみると、質問した相手は自分普段何をやっているかや、仕事でどんなことをしているかといったことを完全に理解していない状態にも関わらず、そう言っているわけです。これではお互いの知っている範囲に大きな差があって当然です。

「知っていて当然」というのは盲目的になりやすいことが多いです。数年前に自分がキーボードを投げながら悩んだことや、正しく理解するために数年も使ったことは、知らず知らずの間に体に染み付きます。そして、自分が苦労して学んだということも忘れてしまいます。

例えば、VueやReactを必死で学習している人に「TensorFlowを知らないの?」と言われたら驚かれると思います。もしそこで馬鹿にされたとしたらそれほど悲しいものはありません。

知らないものを知らないと言う

要は、相手から嘲笑われても「自分はわかっていない」と恥ずかしがらずに大切に言えることが大事なのではと思いました。

他の人と同じ立ち位置にいたいという気持ちがどうしても芽生えてしまい、つい分かった気になってしまうこともあります。だからこそ、知らないものに対して知らないと言うのは恥ずかしがってしまいます。

また、場合によって変わるとは思いますが、絶対に馬鹿にされるとは限りません。「あぁ〜それはね」と教えてくださる方も多いです。自分の知らない知識を短時間で学べるわけですから、これは悪いことではありません。

結局のところ、相手がどう考えていようが自分の知識が欠けていると分かったら自分で調べればいいわけです。どうでもいいと思うものであれば調べなくてもいいですし。

最近僕も似たことを言われたのですが、その時に「うーん、知らないですね。どういうのなんですか?」と質問しておけばよかったと感じます。

何でもは知らないわよ。知ってることだけ。

〈物語〉シリーズ – 羽川翼

人は無限に何でも知っているわけではないことを感じさせてくれる一言ですね。僕からは以上です。